タン塩2人前

牛タンが好きな人。思ったことを綴る。

適応障害を乗り越えるまでの道のり①

 

 

 

パニック発作の描写があるため、苦手な方は回れ右……。

 

 

 

直ったことはブログに書いたけど、

直るまでの過程を書いてなかったので書こうと思う。

 

 

今悩んでいる誰かの参考や希望になれたら幸いだ。

 

 

 

 

適応障害と診断されたのは子どもを生んで10ヶ月ほど経過した頃だったと思う。

旦那と久々のデートに出かけた時、

ラーメン屋で着丼の瞬間に体温がグッと低くなる感覚があり、視界がぼやけ、溺れる寸前のような息苦しさを感じた。

店主に謝りながらほとんど手をつけていないラーメンを下げてもらった記憶がある。

隣でラーメンを啜る旦那を置いて、外の澄んだ空気を吸いに店を出た。

 

 

実は私、パニック症状が起きるのはこれが初めてではなかった。

 

 

数年前にも電車に乗ると途端に腹痛や吐き気を催すことがあった。

ただ、当時は“パニック障害”というワードすら知らず、病院にかかることはなかった。

(パニック障害について知ったのはいつだっただろうか。

元キンプリの岩橋くんのニュースを目にしたあたりかも知れない。)

 

 

前例があったため、わりと冷静に考えていたような気がする。

「あー。来ちゃったか。」

そんな感覚だった。

 

 

 

しかし、驚きが0という訳ではなかった。

 

 

なぜなら、

 

 

 

自分の生んだ赤ちゃんが可愛すぎたから。

 

 

 

産後のお母さんは子育てに疲弊して、

我が子を可愛いと思えなくなり、

心を病んでしまう。

 

そんなイメージがありませんか?

 

私はそういうイメージを抱いていました。

 

しかし、私は我が子が愛おしくて仕方なかった。

(もちろん置かれる環境によっては私が我が子に対してこう思えなかった可能性は十二分にあります。)

 

 

ほとんど泣かない赤ちゃんだったのもあって、

1番初めの子育てを大変楽しませてもらえた。

赤ちゃんと過ごす日々は最高に幸せだった。

 

 

だから、私には理解ができなかった。

 

なぜ今パニックが起きるんだ?

 

最高に幸せな私が、なぜ??

 

 

今思えば、このタイミングでの発症は何も不思議ではなかった。

環境があまりにも変わりすぎた。

前述の通り、我が子中心の生活になったという点は自分にとってはさほど重荷ではなかった。

息抜きだって、それなりに出来ていた。

 

私にとって1番大きな壁

 

それは

 

 

 

夫婦関係がガラリと変わってしまったこと だった。

 

 

 

苦しかった。

辛かった。

好きで好きで仕方なかった旦那を嫌いになりかけた。

旦那と一緒にいる時が、1番パニックが起こりやすい環境だった。

 

 

他の要因と言ったら、社会との隔たりを感じたことや未来への不安。

それくらいだろうか。

 

 

 

様々な要因が絡まって、パニックが起きた。

 

 

 

パニックが起こり始めて間もなくして

私は心療内科にて"適応障害"の診断を受けたのであった。

 

 

 

 

〜②へつづく(多分)〜

 

 

 

 

 

 

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